変わらないところ。

さて、目まぐるしく変化する渋谷駅について語っていきましたが、今度は「変わらない」ところを紹介しようと思います。忘れてないですからね。半蔵門/田園都市線、井の頭線。ちょっとだけですが紹介しようと思います。まずは半蔵門/田園都市線からです。

半蔵門/田園都市線編

これもなかなかの強敵です。かなり濃い…そんな駅です。まず濃いポイントとして「地獄の通勤ラッシュ」、「キャパが追い付かないほどのホームの狭さ」、「東横側はきれいにされるのにこちらはノータッチ」などが挙げられます。そもそもの歴史を辿ると、もともとメトロ管轄(旧営団)だったので東急管轄駅でありながらメトロらしいという面白い駅になっています。

半蔵門

話していてもきりがないので一例だけ。まず注目してほしいのは駅名標とゴナです。写真を見ればわかりますが駅名標は東急仕様のものですが駅名標の横に帯が伸びているのがメトロ(営団)の特徴。その帯状にはところどころ「渋谷」と書かれたものが見れます。これがいわゆるゴナ(写研)です。このような仕様のものは同様にほかの半蔵門線の駅にもあるので、比較してみると「あ、ここは営団時代のものからか」とわかります。

半蔵門

駅名標は東急仕様ながら帯などはメトロ駅と同じ仕様

また半蔵門線と田園都市線。双方の歴史を紐解いていくとちょっと面白いです。

時は1977年。新玉川線(現:二子玉川~渋谷)が開業します。その時に現在の半蔵門線渋谷駅が誕生したわけですが、当時管轄は東急のものとなっていました。ややこしいのは駅自体の建設は営団側がしたということ。理由は後述する半蔵門線開業がらみです。

半蔵門線が開業したのは新玉川線開業の1年後の1978年。ただ開業したといっても渋谷~青山一丁目間、2.7kmのみでした。当時そんな短い路線のために、営団側が車両を保有しておらずなんと営団の路線にもかかわらず営団の車両が1両も入ってこないという珍現象が発生しました。その代わりに東急の8500系が半蔵門線をバンバン走っていました。

あれ?8500系なんで今もいるんだ?

このとき管轄が建設した営団側に引き渡されて晴れて渋谷駅が営団のものになったわけです。

そしてまあこれは有名な話ですが、半蔵門線が徐々に延伸されて、いよいよ営団側も車両を準備しようとしたところ一つの問題点が浮上しました。それは「半蔵門線内に車庫建設する場所がない」ということ。それの解決策として1981年にできたのが現在の鷺沼にあるメトロの車両基地です。飛び地で車庫があるというのはなかなか珍しいケースですよね。

その後、半蔵門線が全通して東武と直通するようになったり、営団からメトロになったりいろいろありましたがこの辺は割愛させてもらって時は2007年。再び管轄が東急の手に渡ることになります。理由は5直関連が本格的になってきたことではないでしょうか。渋谷駅地下をこの際東急に渡したほうが銀座線も持っているメトロとしても楽だったのかもしれません。なお、この管轄変更の際に東急仕様の案内等へ変更となりました。

ね、面白いでしょ
半蔵門

余談ですが6ドアも過去のものになりました

井の頭線編

こちらもすごい路線です。起点駅ということもありこちらも混雑が本当にすごい。改札が一番近い側ではみんなが乗るためいつも混んでいます。急行などに明大前、下北沢から乗るとよくわかります。さて、この井の頭線の線路の位置。電車に乗っていると気づかないのですが実はマークシティーの3F、銀座線の車庫の真隣に位置するところに駅があります。こういうところからも渋谷が谷になっていることがよくわかるのではないでしょうか。先ほど述べ忘れましたが玉川線渋谷駅ホームがなぜか山手線の高架部分に位置する玉川改札(=2F)にあったかというのは実は同じような理由なのです。

井の頭線

こちらの井の頭線の歴史もちょっとだけ。実はこの路線は本線とは別物として扱われています。最大の理由は「軌間の違い」でしょうか。京王本線系統は昔の馬車鉄道の名残から1372mmというのが標準ですが、この路線は日本では一般的な狭軌1067mm。なぜなのでしょうか。そしてなぜ互いに違う軌間を使用し続けているのでしょうか。答えは歴史が教えてくれます。

遡ること井の頭線開業時。当時は京王の路線としてではなく、小田急電鉄のルーツでもある帝都電鉄の路線だったのです。このへんの話はWikipediaに詳しく乗っているので気になる方はそちらへ。なぜそんな路線が突然京王電鉄に仲間入りすることになったのか。実はここに戦争がちょっとだけ絡んできます。軍事色が強くなってきた1938年。一つの法律が制定されます。名前は「陸上交通事業調整法」。当時の日本は大手私鉄が合併吸収を進めていたのですが、利益を優先するあまり汚職事件などが発生していました。そのため数々の問題があるにもかかわらず、合併吸収を促進する正当性がなくなりつつあり、合併を正当化するため政府に交通統制を正当化する法律の制定を求めて定まったものなのです。この法律によっていわゆる「大東急」が誕生しました。今大手私鉄の東急や小田急(+相鉄)や京急、京王などが当時全部一緒になっていたって考えるとすごい世界ですよね。ちなみに現在も「陸上交通事業調整法」自体は現存しているようです。

最終改正は平成26年

戦後、GHQの財閥解体政策の一環として大東急が解体されました。その時に井の頭線の扱いに関して経営的に京王のほうがいいだろうということで、京王帝都電鉄が誕生しました。のちに京王電鉄に改称されてしまいますが、割と最近まで帝都電鉄の名前は生きていました。そんな経緯で今京王にいるんですね。以上の名残で現在も小田急と京王は下北沢で改札内乗り換えが可能な駅となっています。

ちょっとだけといいましたがかなり語ってしまいました…。今回はこの辺で渋谷駅の話はおしまいです。

Shere シェア

caution ご注意

当サイト内の内容はすべて「あべっちチューブ」の見解です。また執筆当時と現在とで状況が違う場合があります。個人の内容のため関係各所への問い合わせはご遠慮ください。

last modified 最終更新日

2017.8.1